精神的に追い込まれた時はおいしいモノを食べよう。その時間もないときは、おいしいモノを書いているエッセイでも読もう。しまりす
小島政二郎という作家がいます。芥川龍之介の友人で、純文学を志しながら遂げられず、大衆文学作家として一世を風靡した人物です。(純文学を大衆文学の上とする考えは私にはありませんので念のため)芥川が夭折した後も100歳の天寿を全うし、80代前半の1977年、友人芥川を描いた「芥川龍之介」という名作を残したスーパーじいさんでもあります。他には、彼が芥川龍之介、菊池寛の才能に挫折し、そして、立ち直って成長していく自伝的小説「眼中の人」なんて作品もあります。
更に言うと、小島氏は食のエッセイの草分け的存在でもあります。氏の「食いしん坊 正、続」や「あまカラ」などの作品は、以後の食エッセイの先鞭をつけたモノといえるでしょう。
以後、個人的なことなんで。以下に。
そんな大正時代からの大家を何で私が知っているかと言いますと、1978年発行の表題の書籍「天下一品」―食いしん坊の記録―がですね、その、親父が愛読していた『小説宝石』の巻頭エッセイとして1976~77年くらいに、まあ載っていたわけです。
なんで、歯切れが悪くなるかと言いますと、当時の『小説宝石』というのはですね、宇能鴻一郎氏の連載が、雑誌の中で全く違和感なく、存在していた、小学生が読むにはげふんげふん。
それは置いておいて、このエッセイ集は実に秀逸です。腹が減っていると確実にもう一段腹が減ります。お腹が減っていなくても減ります。小汚い河豚やさんに行って鯛の兜煮をせせる所なんて、腹の虫が啼きまくります。その後、ふぐちりを食べる所なんて・・・。
あと、私は魯山人風すき焼きという名をこの本で知ったのですが、それがいかなるモノなのかは遙かな未来、『美味しんぼ』に出てくるまでわからなかったなどと言う話もあったりします。
でもって、圧巻はやっぱり平戸牛! 『和田門』のステーキ! 小学校の時もあこがれましたが今もあこがれています。博多まで行って喰いに行きたいなあ。と。牛肉のたたきが3,000円とか、おまかせディナーが1万5千円という話もあるみたいですがね。知ったことかと! いつか行ってやる。絶対。
とまあ、200ページ近く、そういった感じで、まだ古き良き日本が残る、バブル前の日本のおいしそうな店がこれでもかこれでもか、えいえいと出てくる本なんですね。
気分がささくれ立ったときにはこういったエッセイを読んで気分を落ち着かせるのが吉な訳です。
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